粗大ゴミの日で、愛犬を出してきた。
ゴミ置き場は住宅と畑に挟まれた空き地で、砂利の間から草が生えている場所だ。
ご紹介が遅れましたが、愛犬とは20年前からのつきあいで、パナソニック製のパワフルにゴミを吸う濃紺色の掃除機である。
吠えもしなければかみつくこともなかった。ただ、散歩が嬉しすぎるのか、疾走して私をよく轢いた。特にかかと。アキレスけんを狙い撃ちしてくることもあった。何か気に食わないことがあると、異常に長い尻尾でこちらの脛をひっぱたくこともたびたびであった。
言いたいことがあるなら言いなさいと何度教えても、無言で私を引いたりひっぱたいたりする頑固な面がある子だった。
多少手荒く扱うとひっくり返ることもあったが、ひっくり返ってもなおゴミを吸い続ける健気さも兼ね備えていた。
それがうんともすんとも言わなくなり、殴っても蹴っても目を覚まさなくなってしまった。
寂しさいっぱい思い出いっぱいでゴミ捨て場に連れて行ったのだ。
ご近所のおばあちゃんにばったり出くわした。
「こんにちは」とあいさつすると、相手はまじまじと私を見て、「あ。美由紀ちゃんじゃないの。誰かと思ったじゃ」と驚いた。どういう意味かは気にしないことにする。
おばあちゃんは犬連れである。犬のリードをご自身のおなかに巻いている。そのやり方だと歩くのが楽なのだそう。
買い物の時も回覧板を回す時も郵便局に用足しに行く時も、犬を連れている。足元に座っている犬は賢そうな顔をしておとなしい。彼は介助者のつもりなのかもしれない。いいなあ、私も犬が欲しいなあ。でも今は、別の新しい犬をお迎えしなければならない、パナソニック製の。
おばあちゃんは物干しざおをひもで結んで二本出していた。
さびて、端っこの水色のプラスチックの部分は欠けていた。どれくらい使ったのか尋ねると、どれくらいだっけね、と思い出すような顔をし、お父さんとカンブン(ホームセンター)さ買いに行ったんだよ、と答えた。
私が物心ついた時にはおばあちゃんはすでに一人暮らしで犬を一匹飼っていた。その犬も一、二回、代わった。
ゴミ置き場には、絵柄があせたキャラクターシールが貼られたファンシータンスや、白い鍵盤が黄ばんで、黒い鍵盤が一本なくなったオルガン、タイヤがない自転車、お尻の形に座面がへたった座椅子なども置かれていた。
私は割とこういうのを見るのが好きだ。
おばあちゃんは、ご近所さんの誰それが倒れたとか、誰それが施設に入ったとか、息子さんのところに引き取られていったとか、それから自分の不調のことなんかを話してくれた。
「死ぬまで生きようね。じゃ、またね」と言い合って別れた。
またね、と言い合えるものはいいものだ。
昼過ぎにゴミ置き場に行ったら、私の愛犬はいなくなっていた。
そこに山のように積みあがっていた、愛されたものたち、それぞれの記憶を抱くものたちは、すっかり消えていた。
ゴミ置き場の隅にコスモスが咲いていた。近くの線路を貨物列車が走りぬけて、その一瞬だけにぎやかになったが、去った後は、空の高いところからトンビの声が降ってくるほかは、静かだった。