いっとき、私は新聞記者になる。
というのも、東奥日報さんからのご依頼である。
かつて、私はこちらの新聞社さんで月一のエッセイをやらせていただいていた。
あまりに頓珍漢ですっとこどっこいなエッセイだったので、間もなく打ち切りになったのだが、本人は楽しく書かせていただき、とてもとても贅沢ないい思い出である。
そして、今、甲子園の記事である。
せんだって、この場にて鬼のような野球素人っぷりを恥も外聞もなく、むしろどういうつもりか尋問されても仕方ないくらい晴れ晴れと、開陳した。
ピッチャーとキャッチャーも咄嗟には分からない。野球は11人だと思っていた人間である。
9人と聞いて残り2人は何係なのかとこの期に及んでもまだ思ったくらいである(だから9人きりなんだってば)。
こんな私に甲子園の、可愛い後輩の、晴れの舞台を、書けるのか。
「書きます!」
張りきってそう答えてから、はたと気づいた。
わたし、スポーツの文章を書いたことなくない?
てか、わたし、そういうの読んだことすらなくない?
スポーツとは縁のない人生を歩んできました40年(明後日41歳)。
ただただ道を歩いていてすっ転ぶ私にしてみたら、走ったり投げたり、打ったりなんて雑技団である。
当日試合を観戦して記事にして、メールで送るなんてどきどきする。不整脈。書けなかったら、Y記者にバットで殴られるかもしれない。あの足元に敷いてるビート版みたいなやつで張り倒されるかもしれない。
東奥日報さんも一か八かだよなと思う。
こんな私に話を持ってくるなんて、捨て身、という言葉が浮かぶ。やけっぱちという言葉も添える。危機管理意識はどうなっておるのか、と心配になる。
そうはいっても、心意気、が一番ぴったりくる。
東奥日報さんの男気と度量の広さに泥を塗らぬよう、書こう。
3/21(日)わが母校の球児が甲子園の土を踏む。
後輩が頑張るのである。
先輩だって、書く。