青森県にて小説と児童文学を書いています。  著作物は、右サイドバーの著作物一覧からご確認いただけます。よろしくお願いいたします。

対談


絵師さんとの対談があった。

絵本「鬼どんと弥十郎」のもなかさんだ。

もなかさん、かわいらしく繊細で、しっかりした芯を感じさせられる方だった。

この絵を見てそう思った方も多いと思われるが、お話を伺っていて、内面の透明感が半端ないな、と感動した。

やはり絵師さんだ。感性のひとだ。

犬を描いたはずがヒトデに間違われる、パソコン入力ができるチンパンジーモノカキとは根本からして違う。

対談では、学ぶことが多かった。

もなかさんは質問に対して、印象に残っているシーンや描きたかったこと、伝えたいことを、大変分かりやすくかみ砕いてお話され、理路整然とされておられました。一言一言大切に語られ、もうそれはそれは素晴らしかった。

 

ここで突然ですが、

私の物語を書く方法は、思いついた断片を付箋だのレシートだのビール缶だの本の余白だの消しゴムだの、とりあえずその辺にあるものに手当たり次第に書いて机にバーッと広げて、それを地味に並べ直してそれらしく体裁を整えるというものだが、

 

喋る時の頭の中もこれと同じだ。

 

残念なことに、書くほうは可視化できるが、喋るほうはそれができないので、支離滅裂になっていることが多々ある。多々というか、いつもである。支離滅裂な上にしっちゃかめっちゃかなのだ。エルニーニョ現象が起こってもここまでめちゃくちゃにはなるまいというレベルなのだ。自覚がある。

 

腸炎になった時は頭がぼーっとして、この支離滅裂っぷりが一時的にも鳴りを潜めたが、治ったとたんに支離滅裂も、わっしょーい!おまたせしました! とアイルビーバックした。

 

なので、対談はみんなに迷惑をかけている。

今日もそうなるんだろうなあと思って、予想通りそうなった。

(対談になる前に、遅刻という点においても迷惑をかけているのだが)

本人はチンパンジー脳みそをフルに動かして、命がけで喋っているのだが上手くいっていないのが手に取るように分かり、喋りながら、(「これ絶対通じてない」「説明がうまくできてない」「どん引いてらっしゃる」「私、最悪」「山にこもろうかな」「台湾行きたい」「お腹空いた」)と、このように申し訳なく思うのである(「さっきいただいたクッキー、今食べたら殴られるかな」)。

 

対談の模様の掲載日はまだ分からないが、あとは、記者さんの腕の見せ所(と、身勝手に丸投げしている)。

できれば、私の顔にはモザイクをかけて、私が喋った部分は伏字にして掲載してほしい。

よろしくお願いいたします。

 

もなか様、東奥日報様、ありがとうございました。