初めての、よい経験をさせていただいた。
甲子園の記事を書く仕事をいただいたのだ。
私が。
甲子園。
野球とは棒に球を当てるゲームである、という野球ファンに殴られても仕方ない程度の認識を持つこの私が。
3/21当日は嵐で順延になった。
翌、22日。今日。快晴。
東奥日報三戸支局にてテレビ観戦。
優しくおおらかで包容力のあるY記者に「ゲームスタートはプレイボーイですよね」とにわか知識をひけらかして笑われ、「あのビート板を踏むといいんですね」と混乱のるつぼに叩き落し、不安しかない出航・試合開始。
試合が始まって間もなく。
投手が打者じゃないほうにぶん投げるのが意味不明。なんで一塁に投げるんですか! とY記者に詰め寄り、Y記者が懇切丁寧に説明してくださるのもちんぷんかんぷんで、とにかく打つ人目掛けて投げなさい! と私はテレビ越しに投手を指導する。
「あのビート板には何人まで乗っていいんですか」と聞いて、Y記者は、一瞬、言葉を詰まらせ「ひとりです」とお答えになられた。
「じゃあ、どんづまったらどうするんですか」
説明してくださったが、私には理解できない。そんなお相撲のような手段を取っていいのか野球、と首をひねる。
打つ人は左右どっち側から打ってもいいらしい。
そんな自由なの? じゃあ反対側に走ったっていいじゃないの。
それにねえ、あのキャッチャーですか? あの子、顔面とボディをプロテクターと防弾チョッキで守ってますが、一番大事な股間ががら空きじゃないの。ダメでしょ、危ないじゃない!
次に私が注目したのは一塁二塁などに、敵とともに立っている選手が何かおしゃべりをしているかどうかということ。
どこに注目してるんだというお叱りは無視する。
知りたいんだもん。
喋らないのか。黙ってるのか。敵同士だし。
「今日お前どうやって来た?」「俺は飛行機、あんたは?」「俺はバス」「バス!? 青森から? まじかよ」くらいは話さないのかしら。私だったら喋るな。「どんなとこ泊まった? 料理おいしかった? たこ焼き食べた?」って。(私はかつて、とある集団面接中に隣の子とお喋りしていながら合格したことがある)
「なんで、ボール4回目なのに、投手は交代しないんですか。打者は交代するじゃないですか」
Y記者は誠実に教えてくださる。が、教わる生徒がこんなんなので、彼の顔に明らかな不安の色が浮かんでいる。おそらく、記事執筆の代打がいるかどうか記憶を総ざらいしていたのだろう。お気の毒である(お前が言うな)。
そして2時間の観戦が終わった。
あっという間だった。
全く知らない世界を知った。
息を止めてた時もあった。
手のひらは汗びっしょりである。マスクの中もムレムレである。
これから帰って原稿を書くのだが、書くことは多そうだと思った。
選手は、北国も南国もどちらも立派だった。正当で、爽やかで、瑞々しかった。澄んだ水でできてるみたいだった。試合内容もそうだ。
ああこんな世界もあるんだなあと思った。だから甲子園に魅了される人が多いんだ。この年でやっと分かった。
こういうお仕事をいただかなかったら知らなかったことだ。
東奥日報さんには感謝である。私のようなものを記者にしてくださったことにも感謝だ(錯乱していたのかもしれない)。
そして、西高の選手、関係者の皆様、大変お疲れさまでした。
素敵な試合をありがとうございました。