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見ーてーてー

うちのトイレの件です。

明かりを消すと、天井が星空になる。

家の者のオーダーなのか、業者の自由な親切心なのかいたずら心なのか分からんけンども。

真っ暗にしないと星空は見えないが、真っ暗にするとイロイロと不都合が起こるというにっちもさっちもいかない、糞詰まりみたいな状況になる。

 

ギンギンに明るくなくても事足りるのだが、明かりを消したトイレは潔いほど真っ暗(田舎の闇をナメてはいけない)。そんな中で、色んなものが出てきそうでおっかない。

 

 

ここからは、上品な ろうにゃくなんにょ にはご退場いただきたい。

 

 

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私は図書館の児童室担当になったりするのだが、過去に、子供のトイレに付き合わされたことがある。

あいつら、すげーんだぜ。

「見-てーてー」っつうの。

何をって、やってるとこをだよ。

恥も外聞もありゃしない。

 

分かりますか、脱糞を見ていなくちゃいけないのです。

あのね、これ今なら洋式に改装されたから、見てたとしても、単に「椅子に座って踏ん張ってる図」を眺めているだけですむが、当時は武士道の和式(ちょっと何言ってるか分からない方もいらっしゃるかもしれない)。

 

和式でやつらは事を構える。

堂々と。

まさに肝を据えた武士。

 

子どもは私がちゃんと見張っているか確認する。

子どものくせに大人を信用しない。

なのに、お化け的なものが出る(それ以外も、出す)、ということは信じている。

 

凝視は私の高貴な品性が許さないので、虚空を見据える。

子どものくせに普通にくせーし、屁もこく。

私はいったい何を見せられ、何を嗅がされ、何を聞かされているのか、と情けなくなり、ついに笑ってしまう。

子どもは笑われるのを良しとせず激怒する。

脱糞してるのを見せてるのにだよ。

笑われるのより、してるほうを見られることに激怒すべきだろう。

基準がもう、ガッタガタなわけ。次元が違うの、やつら。

 

事を終えると、彼らは野原をスキップするように爽やかに飛び出していく、おいらを押しのけて。流しもしねー。

もう、自由。原人。

(拭いたことは目視しているが)「うぉい、ちゃんとケツ拭いたか!」と、トイレを流しながら声を伸ばして尋ねると、振り返って真っ赤になって「拭いたもん」と答える。そこは恥ずかしいんだ。。