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かつて、給食がありました

 

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私は記憶力があまりないものですから、ぽつりぽつりとしか覚えていないのですが、

学校給食で、七夕の日はたなばたゼリーというもんが提供されていたのは覚えています。

 

私はこのゼリーを同じ班の子にあげていた。

 

配られると同時に私は流れるように渡していた。

それはもう、給料が振り込まれた瞬間に各請求会社から引き落とされるような感じで(たとえが分かりにくくて申し訳ない)。

 

みんなおいしいおいしいと食べていたが、私はいまいち味が分からなかった。

食べても食べてもひとっつも味が分からず、

「たぶん砂糖で煮付けた寒天」くらいに思っていた。

 

給食で好きだったのは、ソフト麺と揚げパン。

ほんとに好きだった。

ベッタベタの甘い焼きそばになったソフト麺の至福たるや。

揚げ油でギトギトの粉砂糖のかかった悪魔的揚げパンたるや。

 

ブドウパンとキャロットパンは、流れ作業的に学校帰りに犬にあげていた。

今なら犬と競って食べるはずだが当時は、どうぞどうぞって感じだった。

 

牛乳は必ず家に帰るまでにランドセルの中で紙風船みたいにパンパンに膨らむ。

 

 

さて。

私にとって最も印象深かった給食は、小学校の低学年のやつ。

 

レバーが出た。

 

レバーは私が最も忌み嫌う食品だ。蛇蝎のごとく嫌っている。撲滅したい。

レバー撲滅協会総務理事代表取締役工場長クリーンアップ大作戦会長。

 

煮ても焼いても食えないとはレバーのことだ。未だに無理。

 

その年、担任になった教師は、給食を残すのを鬼のように嫌悪していた。非国民と謗りそうなくらいに。

食べない限り、許してもらえない。

なので食べました(こういう所は素直)。

途端、教室を飛び出してトイレにまっしぐら。

と、思いきや。

 

間に合わず、教室の出入り口で華麗な嘔吐。案外短かったランナウェイ。

先生が片付け、周りのクラスメイトにはからかわれ、白い目で見られ、そして私は口を拭いながらぼんやり突っ立っていた。

 

驚くべきことに、私は恥ずかしいと思わなかったし、悪いことをしたとも思わなかった(こういう所が叱られる要因)。

 

食べた。具合悪くなった。吐いた。

以上。何も足さない何も引かない潔し。

 

なかなか理解してもらえないけど、これは悪い思い出ではない。

かと言って別にいい思い出ってわけでもないけど。ごく普通に懐かしい。

 

この件がいじめにつながったわけでもなく、その件の後も、私に対する姿勢は、誰も何も変わらなかった。

もともと私の髪を引っぱる子や足を踏んだり突き飛ばしたり体当たりしてくる子は一定数いたし、一方で「やめなさいよ」と注意したり「みっちゃん、こっちおいで」と遊んでくれる同級生もいて、そのままだった。

 

 

次にレバーが出た時、

「やってまいりました愉快な嘔吐祭り」

を覚悟して口に運ぼうとしたら、隣の子がこっそり「給食袋に入れろ」と助言してくれた。

 先生に見つからないように、その子が見張ってくれていた。

ミッションインポッシブルである。

私は慎重に迅速に完璧に成し遂げた。

その方法(抜け道とも言う)を教わってから、私は強気になり、食べられないものは給食袋になんでもかんでも入れて難を逃れ続けた。

 

さあ、ここで家の者の反応が気になるところでしょうが、すこぶる叱りつけられるというわけでもなく、祖母も曾祖母も何も言わなかった。

彼女たちは、両親に告げ口することもなかった。

持ち帰ったものは、毎日遊びに来る野良猫に与えていた。

 

 翌年以降、担任になった先生は、残そうがどうしようが全く頓着しなかったから、苦手なものは残すか同じ班の子にあげるかして、給食袋も不要になり、パンや牛乳はランドセルにぶち込めるようになった。

 

懐かしい。また給食に巡り合いたい。

揚げパンとソフト麺はマストで、かつ、レバー抜きの。