「いつもちこくのおとこの――ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー」
ジョン・バーニンガム 作
自分も気をつけようと思う。
ひとには、そうなる事情がある、ということが実に分かりやすく、ユーモアと皮肉たっぷりに描かれている。
自分が知っている世界だけで、この世が構成されているわけではない、と頭では分かっていても、私はつい忘れてしまうことがある。自分の狭い知識で安易に判断してしまい、あまつさえ、ジャッジまでしていることがあって怖くなる。いったい何様なんだ私は。
自分が知るただひとつの世界で判断し、ジョンから事情を聞いても荒唐無稽な作り話だと弾劾し、
遅刻をし続ける彼を叱り飛ばして屈辱的なバツを与えてきた教師がどうなったか。ラストはパンチが利いていて実に爽快。
人は、自分が思っているほど多くのことを知ってはいないし理解もしていない、そして、そこまで正義ではない
ということを、強い絵と場面と、少ない言葉で鮮烈に訴えてくる。
「コートニー」 ジョン・バーニンガム
コートニーはできた犬である。
私なんぞよりよっぽどできた犬である。
絵本の中で人間の言葉を一切話さないのがバーニンガムらしく、おとなであっさりして、そしてラストで効かしてくる。
誰も欲しがらない、とお墨付きをいただいた収容所にいたコートニーを子どもたちがもらってきた。血統書付きをお望みの両親は気にくわない。
コートニーは家族のためにバイオリンを弾き、家事をこなし、火事から家族を助けた。
――これで小説でもかけた日にゃ、私は地中深く穴を掘って一生出てこないよ。
が、そのコートニー。子どもたちが寝ている間にいなくなってしまっている。
それでも両親は血統書付きにこだわり続けている。
――こういうのが淡々と描かれていく。まるでそこに筆者の念や想いはないかのように物語の作り手でありながら、冷たすぎるほどこの世界から離れて、ただただ第三者として俯瞰しているのだ。
数日後、家族で海水浴に行った。みんなが乗るボートが沖へ流された。それが、何かに引っ張られて無事に岸まで戻った。何がボートを岸まで引っ張ったのか誰も知らない。
――何が、誰が滑稽で、何が誰が真実なのか。それを冷たい水が滲んでくるようにヒタヒタとこちらに問いかけてくる。
凄いじゃないか。これが絵本。個人的に、芥川龍之介と似てると思った。
寂しくてしんとして、淡々として、そしてこの最後をぽーんと投げてくる。そうでなければいけなかったストーリーの流れ、意味。
ほとほと、凄い。