この世にまだ外出制限がなかった平和な数世紀前の話をさせていただく。
数世紀前と言っても私が30代の話だ。
一回だけ経験した話。
そのカーナビに、私は睦子という名前を付けていた。
単に、こいつでむつ市に行ったことがあるってだけだけど。
(ちなみに私はペーパードライバー歴が長い。免許を取ってから数か月しか車を転がしたことがない。その話は今回邪魔くさいのでまた後日。需要があったら。あるか?)
カーナビに南郷区の博物館を入力していざまいらん! と向かったはいいが、
「800m先右折です」
睦子が言ったところに右に曲がる道がない。
藪。
左に曲がる道ならあったのでそっちに入った。
「ルートを外れました」
こちらが間違ったと思ったらしい。自分の間違いはきちんと棚に上げる女・睦子。
ルートなら、もう人生のルートから何べんだって外れていますが何か、と笑いながら、さらに進む我々。
ポーンと信号音が鳴った。
「300m先左折です」
道はあったが、鉄条網のバリケードが張られていてその向こうはまたしても藪である。
「バカだねこの子は」
「古いからなあ。ぽんこつだなあ」
「それって睦子のことだよね」
「……」
といった会話が弾む。
が、道を進めど進めど一向に施設にはつかない。時間ばかりがたっていくし、
「あのさあ、もうこれ山でないかい? 山って言っていいんでない?」
「けど、睦子がそっちに行けって言うんだもん」
「機械の言いなりになっちゃだめだよ」
「お前、それ言う?」
という会話が弾む。弾む……。
うっそうとした緑に分け入っていく。道はクルマがかろうじてすれ違えるくらいの幅しかないし、橋は石を組み合わせた小さいもの。
睦子は自信満々に指示を出し続ける。どんどん山が深くなっていく。
無視してルートを変える(変えざるを得ない)と
睦子は明らかに不本意であるという意思を表明するかのように黙りこくり、
しばらくして「ルートを変更します」と言う。
私のいうことが聞けないのか! という怒りがこもっているように感じられたのは裏切り続けた罪悪感からか。いや裏切らせるような指示を出し続けたのはどこのどいつだ、睦子だろ。
進む。
山の中に、窮屈そうに収まる田んぼと畑。第一村人さえいない。人の気配がない。
「こんなところに博物館なんてあると思うか?」
「ないだろな。来るのはせいぜい狐とか狸じゃないの」
私たちは車を止めて外に出た。
セミの鳴き声がやかましく、鳥の鳴き声が響いていて、草いきれがムッと立ち込めていた。田んぼの奥にぼろぼろの小屋がある。とたんがさびていて、傾いている。
路肩の草むらに、二本の木の枝が見えて、私は覗き込んだ。
腐敗した大きな狐だった。
轢かれたか何かしてここで息絶えたのかもしれない。
私たちは無言で車に戻り、走り出した。とにかく車をUターンさせられる場所まで行ってみようと。
睦子は指示を出す。右だ左だ直進だ。そのいずれも道がなく、あったとしても反対か、道が崩れているものばかり。
睦子の声は、次第にからかっているような声音になってきた(心象)
そして、小さな小さな苔むした橋の真ん中に来た時。
「目的地に到着しました」
は。
いやいやいや、橋の上ですけど。いわゆる道っぱたですけど。
「ナビを終了します」
睦子は無慈悲にそう告げた。あとはふつりと何も言わなくなった。
は。
いやいやいや。
「役人か!」
と、突っ込んだ。
「あまりに事務的すぎる!」
「終了ってあんた、ここどこ」
「実は睦子、ナビのくせにとうとう迷子になっちゃったもんで職務放棄したんじゃないデスカ」
会話の明暗で、事態の深刻度が変わるような気がしたので、我々は必死に明るい方向へもっていこうとした。そんなことに力を注ぐならもっと別な方向に力を注ぐのがまっとうなおとなのすることなのだが、いかんせん、我々はまっとうではない。
鬱蒼とした木々がのしかかってくるようだ。
真夏なのに、冷たい風が吹いてきて、ざわざわと濃い緑を揺らし、深い影がさまざまな形を作った。
私たちは車に乗り込み、バックで長い長い道を戻り、車をUターンさせた。
ナビを操作して、
行く先を「三戸」に変更した。
しばらくして、ポーンと大きな信号音が鳴った。
私たちはナビに注目した。
「目的地は右側です」
車はギュッと止まった。
嘘だろ、と思った。
右手の数メートル崖の上にあったのは稲荷神社だった。
ボロボロの色あせた赤い幟が揺れていた。
しかしそこまで行く道は雑草に覆われている。
私は無言でナビの線を引っこ抜いた。
とにかく道なりに進んだ。
うまい具合に青いルート案内の看板をとらえた。
その日私たちは、戦争の展示を見に行くつもりだった。
この体験、一回だけなのは、帰宅してすぐに睦子を処分したからである。
二代目のカーナビでは、ひとつもこういったことは起きていない。