昨日の朝、地震があった。
思いだすのは9年前。
幸い、私の地域で死んだ人はいなかった。
3月初旬のこっちの地方は、普通に氷点下になるので、電気が使えないというのは、こたつもヒーターもエアコンも使えないわけで、ちっぽけな石油ストーブでしのがなきゃいけなかった。
あれが一番きつかった。
飯を食わなくても1日2日は死にはしないけど、寒いのは、クソなのだよ。
手足の先とか鼻とか痛いから。ただでさえ埋没しているお鼻がもげるかってくらい痛くなる。
てことで、これ、北東北民にしてみたら兵糧攻めよりきつい。
当時うちには犬がいた。
この犬は、「みとりし」という拙著の「4分」ご登場マロンのモデルであるが、
私のことをえっらく見下していた面白い犬だった。
私が自分より先に飯を食うのが許せなかったし、私が彼女より先を歩くのも許せず「主はワッチの三歩後を歩き、影すら踏んではならぬえ」的なお考えを持つ雑種犬で、
お名前を呼ばせていただいても、小間使いの私は無視された。
ご自身が おこきになった香しい寝っ屁を私のせいにして、私を迷惑そうに睨みつけ、嘆息されることもたびたびであり、気に入らないことがあると私に当たり散らして留飲を下げてらっしゃった。
とはいえ、私にも原因があった。
オニオンスライスやチョコレートを見せびらかして食べ、一口も与えなかったせいだ。
それで御犬様は、私を食い意地の張ったさもしい人間、として、半軽蔑半敵視していたのである。
あの地震の時、この犬は、御犬様は、はしゃいでおられた。家族みんなが居間にいて自分を代わる代わるなで、ちやほやするから(私がなでようとした時だけムッとするのも通常営業だった)。
当時の自分の心持ちを、いまでは もうはっきりとは覚えていないが、
私は淡々と職場へ行き、すべきことをして、平淡な心持で帰宅していたと思う。
慌てたりパニックになったり、不安や怒りに翻弄されるといったことがあれば覚えているだろうから。
この犬もまた、急になついたりすることはなかったと記憶している。
いつも通りに私を馬鹿にし、お手、とやれば頭突きをし、お座り、と命じれば鼻で笑ってそっぽを向き、伏せを指示すると、「おまえがやれ」と足ダンッをした。
犬は私に対しては、至って平常で、私も普段のままだった。
家族は喧嘩がなかった。
ギスギスもしなかった。
表面上はそうするのが一番だと思っていた。
腹の中じゃあの緊急事態をどう受け止めていようとも、表に出してしまえば何か取り返しがつかないことになると、私だけでなく、家族みんなが、犬も含めてそう察していた。
小さな一軒家の中で、
上澄みの下には、静かな緊張感が常に停滞していたわけである。
緩和していたのは、犬だ。
我が家で犬の存在は大きかった。
犬は、鼻がいい。
ひとが、自身の深層心理に気づくより先に、犬はいち早く嗅ぎつけ、それが浮上し漏れ出す前に、その者のそばによりそった。顔をのぞき込み、その目を通して自身の心情を見せてくる。(私にはそうした行動はとらなかったが、たまに体当たりされた)
今のご自身のご気分はいかがでしょうか、と。
あの時期、思いだしていたのは、
戦争を潜り抜けてきた亡き祖母が、言っていたことだ。
「オラだぢぁ運がいい。今生きてるんだすけ」
である。
私は祖母に育てられた。
今、うちは至って平常営業している。
メンタル面では誰も荒んではいないし、実質面ではこたつはつくしヒーターも温かい、風呂にも入れて、食事もとれる。
それでも今、あの犬と祖母がここにいたら
どうだっただろうと、ふと、思う。