ペプシとコカ・コーラと強炭酸水の空のペットボトルをスーパーのペットボトルリサイクルボックスに預けようと持参した。(私はペットボトルのリサイクル事業に加担する女である)
当該ボックスを開けたら、ペットボトルがワッシャーとあふれて足元にバラボロと散らばり、一部は駐車場まで転がった。
これが自販機だったらよかったのに、と思いつつ、他人が飲んだ後のペットボトルを追いかけて駐車場に走りそこら中に広がったペットボトルを拾い集めて、そして自分が持参したペットボトルを入れる隙間が一寸もないので、大変恐縮しつつ店員さんに回収袋を変えてもらった。
そして、お買い物をして精算のためレジを目指した(私は商品を手に入れるために精算する女である)。
と、あと一歩の差で、2つのレジにお客さんが同時に、まさにはかったかのように滑りこんだ。すごい確率だと思う。あんなにきれいに両側からお客さんがレジに入ったのを見たのは初めてだ。昔のクルマのCMかシンクロナイズドスイミングのようであった。
私は2つのレジのどちらに並ぼうか迷って、買い物カゴに半量ほどの商品を入れた女性と、買い物カゴなしでいくつかの商品をレジ台にばらまいたおじさん客を見比べた。そしておじさんのほうへ並んだ。
おじさんは、買い物カゴを持たないだけあって、お金を探ったりカードを探ったり、まあ要するに要領が悪かった。後ろにお客(わたし)が並んでいるということをあまり意識しない大物っぷりも兼ね備えていた。
結果的に女性客のほうが速くレジ精算を終えた。
買い物をすませた私は、銀行に寄った。
二度あることは三度あるとはよく言ったものだ。
仏の顔も三度までともよく言うが、仏は今日、あの世に帰るのであるから仏もいないのであったが、この時はその件については全く思い至らなかった。
銀行で111番のふだを手に取った。ぞろ目である。このままスロットでも打ちに行こうかと思ったくらいちょっとしたラッキーに気をよくして呼ばれるのを待った。
すぐに呼ばれた。私の不運も二度までだと高を括って、窓口のお嬢さんから書類をもらって別の机で書き始めた。
窓口にその書類を出そうとしたら、おじいさまが手続きをしていた。
私はソファーに腰かけて、大好きな作家の本を開いた。銀行で待たされるのは想定済みなので、本は持ち歩いているのである。
十数ページ読み、ふと顔を上げると窓口にはまだおじいさまがおられた。てっぺんが見事に剥げて丸出しだ。ちなみに口元も丸出しで、つまりはマスクもしていない、まるで2、3年前の「世の中が健康」だった時代を生きているような元気溌剌わんぱくなおじいさまである。
おじいさまはなかなかに手間取っておられるようだった。
何をそんなに手間取っているのか、振込詐欺にでも引っかかっていてそれを職員が止めているのか、相続の問題でもあるのかと聞き耳を立てたら、
「あのですね、このぉお通帳は、別の銀行さんのでね」
受付のおかっぱ頭のお嬢さんが一生懸命説明している。おじいさまは「ふん、ふん」と聞いていて、そして、
「ほんだら、これぁ、ここで手続きできねのかい?」
と聞いた。お嬢さんは、「そうなんです、よ」とゆっくり大きな声で説明差し上げる。
「なんとかならねのかい?」と、おじいさま。「あんたの裁量で」
おじいさまの窓口嬢に対する期待はでかいな、と思っているうちに、呼ばれる番号札は、もはや120番になっていた。
よもや私は永久にこの書類を提出できず、ここで夜明かしする羽目になるんでねかべか、そしたら一応貸金庫の番号だの、あの奥に鎮座している物々しい金庫の番号だの、まあ、一応、聞いといたほうがいいんでねかべか、いや、何するってわけじゃねんども、一応さあ、それから職員通用口か便所の窓の位置も把握しておかねンば。などと検討していると、私が呼ばれた。反射的に、すみません、と謝って起立した。
おじいさまの姿はすでになかった。
そして、あんなに混みあっていた行内にお客は私しかいなかった。
数十分がたっていた。
二度あることは三度ある。
書類を提出する。書いた番号が違っていて書き直しを食らった。
二度あることは三度も四度もある。
家に帰ってきてから、買い物袋の中ですっかりぬるくなったコーラを飲みながらカレンダーに目をやる。
「先負」であった。
午前中は何をやってもダメな日らしい。わあすごーい、と感心した。銀行の番号札が「111」を見たのと同じ感覚だ。
今日はそんな日のようだ。
今日は、というか、私に関していえば、今日も、である。
二度あることは三度も四度もあるなら、いいことこそ三度も四度もあっていいじゃないか。