台湾に行きたい。
行ってみたい。
おいしそうなものがいっぱいあるし、観光が充実してそうだし。日本語OKらしいし。屋台あるし。お祭りっぽいし。
綿あめとりんご飴とヨーヨーとお面を買ってもらうんだ。
誰にって、大人になった自分に。
私が単行本でデビューしたのは、2014年のちゅうでん児童文学賞で、
タイトルは「いっしょにアんベ」というものだが、アんベ、は青森県南の方言で「行こう」っていう意味。「行こう」だから、「ひとりで勝手に行っとけ」じゃない。
これの前年に送ったものが優秀賞をいただいていた。なんというタイトルでどんな作品だったかは忘れた。
でも、優秀賞をいただいていたので、
次の作品は
落選
するだろうと読んでいた。
私のジンクスではそうなのだ。
どういうことかと言うと、
前作がトップに一歩届かなかった場合は、二回目に応募したものは箸にも棒にも引っかからずに「お調子に乗りやがって一昨日きやがれ」とばかりに蹴落とされるパターン。
これまで何度もこのジンクスに辛酸を舐めさせられてきた。
だから、賞をいただいた時は素直に「へえ……」と驚いた。そんなことってあるんだぁって。
あとから、編集の方に審査の裏話を聞いて震災をテーマにしたことで、いろいろと揉めたことを知った。
いろいろと、あったんです。
出版へ向けて改稿を始めるまでに、まずそこのとっかかりから糞づまっちゃったんです。
でしょうね、と思った。
私の旅だから、とんとん拍子に行くわけがない。
途中まで、出版できなくてもいいやと思った。
投げやりとかではない。
落ち着いた平淡な気持ちでそう思っていた。
出版できなかったらできなかったで、今までのように、またやればいいだけだ。また書けばいいだけである。
何しろこっちは一度、ジンクスにより死んだ(落選)ことになっているのだから、これっくらい屁の河童だ。
そう決めていた。
が、ここにきてのフレーベル館さん。手を差し伸べてくださった。
慈悲深いもんだよ。
それからちゅうでんさん。
出版に当たって、尽力してくださった。
審査の段階で一番押してくださったなだ先生は刊行を待たずにお亡くなりになった。
「いっしょにアんベ」新刊には、しおりが挟んであって、それには三名の先生方からの講評が書かれてある。
私にとっては最も嬉しくありがたいもので、大変勉強になった。
図書館に派遣されて以降、駄文を書く前からなだ先生の精神医学本や精神科医目線のエッセイが好きで拝読していた。
優しく大らかで深淵なそのお考えを、もっともっと知りたかったし、どんどん吸収していってやるんだと意気込んで読んでいた。肉になれ血になれ、と思って読んでいた。
ユーモアの中にあった、ひとを肯定し、見つめる穏やかであたたかな眼差しに憧れがあった。
私はひとの心を知るのが怖い。
見つめるのがとても怖い。
お化け以上のものだから、私にとってはお化けを見るほうがましだ、見たことないけど。
とはいえ、ひとの心を無視しては書けない。
見なきゃいけないような気がするから、書く。
書いているうちに見たくなくても見えてくるから。
自分のことばかり考えていれば気が滅入ってくるということ。憂鬱になってくるということを知った。
それがひとたび、大好きな誰か(家族でも友人でも恋人でもペットでも)をどうやって喜ばせようか、と考えるだけで、自分の中にあった冷たい雲や、腐った泥から一時的に離れ、温かな光に触れることができるのを知った。
先生の本は、私を支えてくれた。
本はひとを支えるのだ。
それは、本を書いているのがひとだからだ。
私もそういう本を書きたい。
そして私も、読んでくれた方を支えていきたい。
このたび、この本は台湾で刊行されることになった。
http://www.eslite.com/product.aspx?pgid=1003111002867833
なだ先生、今江先生、長田先生と、関係者の方、出版社、編集Hさんに改めてお礼を言いたい。
ありがとうございました。
「いっしょにアんベ」の台湾版タイトルは「一緒にいるとき」
訳者の方なのか、編集さんなのか、素敵なタイトルを与えてくださって、
どうもありがとうございます。
http://www.eslite.com/product.aspx?pgid=1003111002867833
紹介文のラスト。泣けてきた。
これは登場人物のふたりの少年に送られる言葉だが、読んでくださる方にも、ど真ん中に届いてほしい。
「我就在你身旁。也許不一定一路順遂,不過,我會陪著你往前走喔!吾們一齊趨唄!」
「私はあなたのそばにいます。スムーズな旅ではないかもしれませんが、私はあなたと一緒に前進します!
一緒に行こう!」