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藍色ちくちく  魔女の菱刺し工房 1月19日発売

 

藍色ちくちく 魔女の菱刺し工房


青森県南地域には、「南部菱刺し」なる刺し子文化がある。菱形の模様を挿すのだ。津軽地方に伝わる「こぎん刺し」と似ている。どちらも布の縦糸を数えてまたいで刺していくが、こぎん刺しは奇数本、菱刺しは偶数本をまたぐ。よって菱刺しは、横長の菱形ができる。資料を見ると、昔から赤や黄色オレンジなどの色を使ってカラフルだ。

明るくおおらかなイメージを受ける。

これを、今回は題材にした。

編集Yさんのご提案である。

 

4章に分かれており、菱刺し工房に集まった4人の春夏秋冬。

進路に悩む高校生、結婚を前にした女性、認知症の母を持つ南部せんべい屋の女性、ある事情からひきこもりになった30代男性。

こうやって並べると暗い話の感じもするけど、さほど暗くはならなかった。

菱刺しの先生であるより子は明るい。各話、悩める彼らと伴走していく。

 

 

私は不器用である。再三に渡って書いているのでもう聞き飽きたと思われる御仁もおられるだろうが、言うよ。何度だって言いましょう。私は「どうしちゃったの」と言われるくらいのド不器用である。

執筆するにあたって取材をした。

取材先で体験をした。

 

私に針を持たせるなと言いたい。

羊毛フェルトの時のように針をへし折ることはなかったが、爪の間には刺した。

ラッキーだったのは、針の先が編み物の閉じ針のように丸いことと、教えてくださる先生(八戸市のまちぐみラボというところで活動されている)江渡さんが菱刺しのようにおおらかで明るい方だったこと。

刺し続けてしばらくたって、形がゆがんでいることに気づいた。先生に見てもらったら3針目で早速間違っていた。こんなしょっぱなから間違っているなんて、目が悪いか頭が悪いか運が悪いかしかない。

思えば私はいつもそうだ。例えば迷子になるのだって、「多分、右!」「なんとなく左が私を呼んでいる!」「あっちが明るい!」といった理由で自信満々に突き進んだ結果なのだ。方向音痴なのに好奇心が強いというふざけた性質なので、まんまと迷子になり、にっちもさっちもいかなくなって結局通行人に泣きついて助けてもらうということを繰り返しているはた迷惑なおばさんなのだ。このままはた迷惑な婆さんになるんだろう、長生きすりゃ。

 菱刺しを教えてくださった江渡先生は罵倒することもなく「ほどけばいいんです。大丈夫ですよ」とにこにこしてささーっとほどいてくださった。

 さすが、普段から小学生を相手にしてらっしゃるだけあって、間違える人間になれてらっしゃる。

 それから、八戸工業大学 感性デザイン学部 感性デザイン学科の川守田礼子先生にもお世話になった。

 どこの馬の骨か分からぬ人間の問い合わせメールに返信をくださり、的確なアドバイスとご意見を授けてくださった。

 町の歴史民俗資料館の木村先生にも時代背景について教わった。

 他に多くの書籍、資料が助けてくれた。

 今回は、おそらく私史上初なのではないだろうか、戦後から令和という時代をまたいだものを書かせてもらえた。

 書かせてくださった中央公論新社のY編集さんには、ありがたくて頭が上がらない。

 また、エモい切り絵を手がけてくださった原田俊二先生ありがとうございました。

 装幀家の田中久子さま、拙作の世界を目に見える形で素敵な本にしてくださり誠にありがとうございます。

 

藍色ちくちく  魔女の菱刺し工房中央公論新社

 どうぞよろしくお願いします。 2023年1月19日発売です。

対談


絵師さんとの対談があった。

絵本「鬼どんと弥十郎」のもなかさんだ。

もなかさん、かわいらしく繊細で、しっかりした芯を感じさせられる方だった。

この絵を見てそう思った方も多いと思われるが、お話を伺っていて、内面の透明感が半端ないな、と感動した。

やはり絵師さんだ。感性のひとだ。

犬を描いたはずがヒトデに間違われる、パソコン入力ができるチンパンジーモノカキとは根本からして違う。

対談では、学ぶことが多かった。

もなかさんは質問に対して、印象に残っているシーンや描きたかったこと、伝えたいことを、大変分かりやすくかみ砕いてお話され、理路整然とされておられました。一言一言大切に語られ、もうそれはそれは素晴らしかった。

 

ここで突然ですが、

私の物語を書く方法は、思いついた断片を付箋だのレシートだのビール缶だの本の余白だの消しゴムだの、とりあえずその辺にあるものに手当たり次第に書いて机にバーッと広げて、それを地味に並べ直してそれらしく体裁を整えるというものだが、

 

喋る時の頭の中もこれと同じだ。

 

残念なことに、書くほうは可視化できるが、喋るほうはそれができないので、支離滅裂になっていることが多々ある。多々というか、いつもである。支離滅裂な上にしっちゃかめっちゃかなのだ。エルニーニョ現象が起こってもここまでめちゃくちゃにはなるまいというレベルなのだ。自覚がある。

 

腸炎になった時は頭がぼーっとして、この支離滅裂っぷりが一時的にも鳴りを潜めたが、治ったとたんに支離滅裂も、わっしょーい!おまたせしました! とアイルビーバックした。

 

なので、対談はみんなに迷惑をかけている。

今日もそうなるんだろうなあと思って、予想通りそうなった。

(対談になる前に、遅刻という点においても迷惑をかけているのだが)

本人はチンパンジー脳みそをフルに動かして、命がけで喋っているのだが上手くいっていないのが手に取るように分かり、喋りながら、(「これ絶対通じてない」「説明がうまくできてない」「どん引いてらっしゃる」「私、最悪」「山にこもろうかな」「台湾行きたい」「お腹空いた」)と、このように申し訳なく思うのである(「さっきいただいたクッキー、今食べたら殴られるかな」)。

 

対談の模様の掲載日はまだ分からないが、あとは、記者さんの腕の見せ所(と、身勝手に丸投げしている)。

できれば、私の顔にはモザイクをかけて、私が喋った部分は伏字にして掲載してほしい。

よろしくお願いいたします。

 

もなか様、東奥日報様、ありがとうございました。

絵本 「鬼どんと弥十郎」


弘前市は鬼沢地区の伝説をもとにした角のない鬼の絵本を書くのじゃ、と東奥日報社さんからお話をいただいた時、そいつは面白そうだと思った。

やったことはないが自信満々に請け負った。

なんにおいても、やったことがないことは自信が持てる。

やったことがないことは、つまり、それについては失敗したことがないのだから、勝てる気しかしない。

私のような人間がこういうことをするのを専門用語で「安請け合い」という。テストに出るから覚えておきなさい。

 

伝説を書くには、資料が要る。

東奥日報社さんはご丁寧にも資料を送ってくださった。

苦手な歴史だ。漢字もいっぱいある。

基本的に、自分が知らないものを書く作業は資料を読み込む作業が全体の8割を占める。

鬼のように苦手な資料を読み込み、鬼に関するポイントをさらっていく。

ふむふむ、優しい鬼なんだな、水路を作ったんだな、相撲が好きなんだ、アイテムはこの3つか、よし分かった。

おおかた出揃ったところで書き始める。

 

私は基本的に、頭に脈絡なく浮かんだ画像を文章でつないでゴールを目指すというやり方をしている。

浮かんだ場面をすぐに忘れるので、付箋に書いておき、それを並べ直す。

 

枚数字数制限がある。さすが新聞社さんなだけあって、かなり攻めた枚数字数制限だ。それも念頭に置きながらゲームのように課題をクリアしていくのが面白い。

途中、ふざけた場面が浮かぶ。しかし書き入れると字数が大幅に超えてしまう。でも入れないと気がすまない。どうにか食い込ませたい。

悩んだ末に、よし、入れよう。他を削ればいいんだ。

遊興費をねん出するために、食費や固定費を削る節約と似ている。

 

新聞社のお優しいK女史にかなり助けていただき、最後の最後まで楽しく書かせていただいた。

愛らしい鬼のイラストを描いてくださったのは、もなかさん。

色っぷりもふんわりしていて温和な雰囲気がにじみ出ている。

 

優しくて力持ちで、とぼけている鬼と、友だちになった弥十郎という男の交流の絵本「鬼どんと弥十郎」は8/31 東奥日報社さんからの発売です。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

洗濯のタイミング

ボクサーパンツ

洗濯機のスイッチを入れて、洗濯が終わるまでひと眠りした。

目が覚めたら一時間たっており、洗濯は終わっていた。

ふたを開ける。

一番上に、父の黒いボクサーパンツがある。

手に取って、「ん?」と首をかしげたのは、濡れていないから。

どういうことだろう。

その下の洗濯物はしっかり濡れている。

なぜ、おパンツだけが乾いているのか。

もしや、洗濯がすんだとは知らずに洗濯機に父が放り込んだのではなかろうか。

爆発物処理班として、命の危険を顧みず鼻を近づけてみる。

万が一のために、遺書を書き残しておくべきかとの考えが頭をよぎる。

洗剤の匂いはしない。ちなみに私はNANOXを使っている。

だからと言って別の臭いもしない。

しばらく洗濯機の前にたたずんで考え込む、父のパンツを握りしめて。

ウグイスの声が聞こえてくる。

考えるのは元来得意ではないので、すぐに結論が出る。

「よし分かった」

風呂場でガシガシと手で洗ってギュウッと絞った。

 

庭に干していると、父が茶の間から顔を出した。

「あのぉ……お姉さま……」

 恐る恐るである。最近、父は言いづらいことがあると、私を「お姉さま」と呼ぶようになった。要するに、私は叶姉妹の恭子である。

「なに」

と、答えて父のパンツをぶんぶんふってしわを伸ばす。しぶきが飛ぶ。

「お姉さま、今干してらっしゃるということは、それはそのぉ」

と、叶美香さんが尋ねる。言いづらいことがあると敬語になるのである。

「洗濯機が終わった後に入れたんじゃないかと思って、洗ったよ」

「ああああ、やっぱり。すみませんねえ」

と父が頭に手をのせて謝る。

「気にしないで。でも手で絞ったから乾きにくいと思うよ」

「はい。はい」

「ちゃんと乾いてからはいてよ」

「はい。はい」

 父は恐縮して茶の間に引っ込んだ。

 

セルフレジ

セルフレジのイラスト

 


オレンジジュースを求めて行ったスーパーで、初めてセルフレジなるものに挑んだ。

有人レジが混んでいたのだ。長蛇の列だった。新台入れ替えのパチンコ屋の列のようだった。このレジに並んだら、夜が明けるだろうと想像させるほどの長っぷりだった。

向こうのレジが空いていて、親子がスキャン台をはさんで商品を移動させているのが見えた。

 

なんだ? お店屋さんごっこか?

 

ぼんやりとした頭で眺めること2秒。

ルフレジという案内がぶら下がっている。

ああ、自分で会計をしてるんだ。

 

数台あるセルフレジはガラガラである。レジを待って夜を明かすといったことはなさそうだ。

私にもできそう。

なぜなら私はかつて、レジ打ちを生業としていたからだ。

怒鳴られ、絡まれ、金を投げられ、何かをぶっキメているような血走った目で何を言っているのか分からない言語をずっっっっっと口走っている男もいた。

こんな連中にはなるまいと誓わざるを得なかったという大変よい経験がある。

 

バカなくせに好奇心旺盛な私は、謎の自信を引っ提げてカートを押してそちらに向かった。

レジに迫ると、レジが女の人の声で喋った。

スキャナーの右側に商品をかごごと置け、と。

言うとおりにすると、レジは次の指示を出した。

袋を買うか、持参しているかタッチパネルで選べ、と。

言いなりになって「エコバッグ」という画面表示をタップする。

レジは次々指令を出す。

左側に袋を引っかけろこの野郎。ぼやぼやするな、それが終わったらスキャンしろ。

おう、スキャンなら任せとけ。

わたくしのスキャンの腕前はちょっとも衰えてなかった。レジが価格を読み上げるのだが、それが間に合わないほど早い。

かつて私が属していたスーパーではスキャンの速さと丁寧さの試験が随時あったのだ。

かましてやったぜ、ざまあみろ。

スキャンが終わると、こちらが勝利に酔いしれる間も与えずに機械が言った。

支払い方法を選べ、と。

タッチパネルには残念ながら、支払わない、という選択肢はなかった。

待てば、支払わない、という選択肢が表れるはずだと予想して待ったが、ガンとして表れない。

機械が、支払い方法を選べ、とまた告げた。

さっきより若干声がでかくなったような気がする。しっかり者の借金取りのようだ。

とっとと払えこの野郎というような雰囲気でまた言った。優秀な役場町税課職員のようだ。

私はおとなしく精算した。

レシートがべらべらと出てきた。

もうちょっと詳しくスキャナーを観察し、コミュニケーションを取りたく、じっと見ていたら、「どうされました?」と店員さんが私の後ろに迫った。

「スキャナーを観察し、コミュニケーションを取りたかった」と打ち明けたら、別の店員を呼びそうだったのでやめておいた。

 

ルフレジ、おもしろい。

 

帰宅してから気づいた。

オレンジジュースじゃなく、いいちこを買ってきてしまった。

 

高い志

 

医者です。


これまでの人生で、医者になろうとしている人と話をしたことはない。

先日のzoomでお話した弘前大学の方は医者の卵だった。

私が医者と話をするのは、「あんた、黄色いね!」とか「あ、便秘の人!」と嬉しそうに宣告される時だけで、およそ会話とはいえなかった(でも私はこういうあっけらかんとどつき倒してくる医者が好きだ)。

医者に関わるのは、毎年の健康診断と、10年にいっぺんくらい調子が悪くなった時くらいである。念のため記しておくが、私がかかる医者は、人間を診る医者であって、獣医ではない。たまに、お間違えになる方がいらっしゃる。

 

zoomの方が医者を志したのは中学生の頃だという。

かつて、私にも志はあった。

将来の夢と言うやつ。

年金生活とか、長生きとか、猫になりたいとか。

 

あ、ちょっと待って。今、ページをそっと閉じようとしたでしょ。

理由を聞いて。悪いようにしないから。

 

 

猫になりたいのは、四六時中寝ていても飯が食えるからだ。飼い猫に限るが。

寝ているだけで、そこに存在しているだけでかわいがられるからだ。

よく猫と引き合いに出されるのが犬であるが、彼らは悲しいかな、何かと気を遣わねばならない星のもとに生まれている。

まず仕事を与えられる。

人が来たら吠えろとか、人が来ても吠えるなとか、穴を掘るなとか穴を掘れとか。

仕事以外にも、花見の余興の訓練もさせられる。お手とかお座りとか、撃たれる真似をしたら死んだふりをしろとか。

そして精神論を叩きこまれる。帰宅した主人を全力で盛り上げるホスピタリティとか。

 

これらはしかし、猫にはない。今時ネズミを捕らせる飼い主もいまい。余興も強要しない。ホスピタリティなんて糞食らえ。つまり、無職で、年金もかけてないのに死ぬまで手厚く保護してもらえる。

人間は懸命に働いて猫に貢ぐ。人間をしもべに仕立てるのが猫である。

猫は勝ち組だ。あいつらは生まれながらの勝ち組なのだ。

 

私がかつてなりたかったものは猫でしたと明かすと、医者の卵氏は、パソコンの向こうで一瞬固まった。

wifiの電波状態の不具合かもしれないが、そうでなかった場合、この猫になりたかったと話すチンパンジーのような人間と、このままzoomを続けていても大丈夫だろうか、という不安がよぎったものと考えられる。

 

しかし、医者になろうかって人はメンタルが強かった。

 

卵氏は、気を取り直した。そして、こんな人間にもその方は大変礼儀正しく、終始穏やかであり続けた。品さえあった。

人の話をしっかりと最後まで聞く方であった。

医者の神髄を見た気がした。

 

ちょっとここで脱線するが、夢ってのは、意識無意識問わず、すでに可能性の射程に入っているものじゃないだろうか。

私は医者になろうなんて考えたこともない。医者というのは「なる」もんじゃなく「かかる」もんだという認識だからだ。選択肢に入らない。

全く可能性のない夢は見ないもんだ、と聞いたことがある。人間は、ここに関しては謙虚らしい。

周りにいる人間の影響もそりゃあるだろう。

 

「お前の友人、5人教えろ。そしたらお前自身がどういう人間か教えてやる」

と、昔の偉いおじさんは言ったが、そういうことだ。

周りに医者を目指すような人間がいる環境に身を置けているということは、自分も同等だから。

周りにそういう人間を置けというか、そういう人間のいるところまで自身を持って行け、というか。

 

私の「年金生活」「長生き」「猫になる」の三馬鹿トリオのような夢であるが、なるほど、当時、老人2、3人と、猫数匹に囲まれていた。老人は日によって増えたし、猫も時期によって増えた。

これほどまでに夢が身近にあったのだ。当然、射程に入っていた。私だってやればできる、と思っていたのだ。

逆に言ったら、医者の卵氏は将来は「猫になる!」とは思いつきもしない。眼中にない。

私が思いもつかなかった、医者になる夢を抱いた医者の卵氏を讃えたい。

ならば、医者の卵氏が思いつかなかった猫になりたいという夢を持っていた私だって讃えてもらっていいはずだ。讃えよ。

(この辺の理屈、破綻してませんよね)

 

 

この疫病大流行の今、何も起きていなかった時代より背負うものは重たく大きく、多い。

応援してます。

心身ともに健やかでいてください。

無理しない程度に、ほどよく頑張ってね。

zoom2

オンライン打ち合わせのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

私の人生で能動的に動いているのは、物書きに関することだけだ。

物書きに関することなら、やったことのない仕事でもワクワクしながら取り組める。

それ以外は、からっきしだ。

とりあえず、他力でこの世に出してもらったわけです。おぎゃー、と。こんちくしょうめ、と。

歩いたのだって、寝ているのが飽きたからとか、床ずれになりそうだとか、そんな消極的な理由から立って歩いたのだと思う。

今の私からさかのぼると、生まれた時からやる気がないってことは明白だ。

できれば、団体、組織などに属したくない私があえて保育園だ学校だと入ったのも、そうしなきゃいけないから入ったわけであって、私から「このアタクシが入ってあげるわよ!」とごり押しして入ったわけではない。

入試も就職もそんな感じ。

そんなふうに薄っぺらでぬるくやってきました42年。

カバの平均寿命は39年だそうだが、それはどうでもいい。

 

前置きが長くなり、さらにはカバまで引きずり出したが、zoomの話です。

すみませんね。

 

またzoomの話かよ、と思われた方、そうですzoomです。

弘前大学のラジオのサークルに、4/30に電話出演することになり、その打合せを近々、zoomですることになりました。

twitter.com

hirodairadio.blog.jp

ラジオでは、羊毛フェルトの比重や、物書きに関することを話させていただきます。

 

zoomは経験がある。過去ブログにも書いているが、最初は勤務先でだ。

これもまた、全然自主的じゃない。「やれ!」と言われて、宮仕えは「おおせのとおりに」と承って、バカ面提げてPCの前に陣取っていただけだが、やったことはやったのである。

今の経験が、後々につながるとはその時は思いもよらないものだ。

冷酒と親の説教は後から効くというが、やってよかった、と後から思うのだ。

2回目zoomはJ-POWER(電源開発株式会社)さんからの取材。

そして今回3回目。

まだ要領はつかめてないけど、気持ちは慣れた。

弘大の部長さんからはあらかじめ企画書が送られてきて、それがあまりにビシッバシッジャーーンとしているのでおののいてしまった。

さすが優秀な方は違うなあ、と尊敬した。

ビシッバシッジャーーン、という表現しか思いつかないカバの平均寿命を超えたチンパンジーは、恥をかくのと失言と相手の話を聞かないは標準装備で、オプションとして画面に延々天井を映す、電源を切るなどがあるが、今更思い煩うことはしない。ただただ楽しみだ。

大学というところに行ったことがないので、そういう場所で学んでおられる方々とお話できるというのはとてもとてもワクワクする。いろいろと学ばせていただこうと、前のめりになっている。

 

出演時間は打合せ後にツイッターにて、お知らせいたします。

ネット(以下のチャンネル)にて、登録なしでお聞きいただけます。

www.jcbasimul.com

4/30(土)お耳を拝借できれば幸いです。

どうぞよろしくお願いします。