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羊毛フェルトの比重

 

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羊毛フェルトの比重」 産業編集センター/刊 2022.4.13

 挿画 海島千本さま

 

 

羊毛フェルトを知ったのは、ニュースのワンコーナーだった。

羊毛フェルトで本物そっくりの犬や猫を作り上げる女性が放送されていた。

 

私は昔、あみぐるみを作ったことがある。

かなりの量を作っていた。

かなりの量を作っても、犬なのか豚なのかヤカンなのか、パッと見では判別つかないレベル止まりである。

今は、数体が残り、そのうちの一体は、父によってまんまと針刺しに甘んじでいるが、あれは本来、何かの役割があるのではなく、飾るものである。

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手を動かすのは、気分がよくなる。

不器用だけど、別に器用に作れなどとだれも私に強要しないのだから、どう作ろうとこっちの勝手だ。

将来、このぬいぐるみを何かの役に立てたいなんて思わなくていい。針刺しにしてやろうなんて考えなくていい。とにかく、作りたいから作るだけである。

 

山があるから登る、ゴキブリがいるから叩く、作りたいから作る。

 

これだけである。

 

羊毛フェルトの比重は連作短編集である。

主人公の紬(30歳)は、彼氏との関係、職場(手芸用品店)での仕事のやり方や人間関係、実家の親と兄弟の関係などで鬱屈した思いを誤魔化しながら毎日やり過ごしている。

 飲まなきゃやってられないという42歳女もいるが、彼女は、誤魔化さなければやってられない。

 酒ほど体に悪くはないが、自分の気持ちにふたをしたり誤魔化したりしているわけだから、まあ、いびつである。

 そんな日々の中で、羊毛フェルトでぬいぐるみを作成するのが楽しみであり、ホッとできる時間だ。

 

 紬は、もやもやしつつも、ずっとこのままでいいかと思っている。何か大きなことが起こるよりなら、ちくちくもやもやとしたものがずーっと続く方がましだという考えである。

 下手に移動して、その先で嵐に見舞われるよりなら、鉛色の曇り空の下にいる方がいいと考える人間だ。

 そんな彼女が職場で訳アリ小学生少年と出会う。

  それがすべてのきっかけになる。

 きっかけに"なる"、というか、彼女はこれを自分できっかけにした。

 本心では動きたかった。もう、鉛色の曇り空の下から出たかった。

 そのきっかけを探していて、普段なら、きっかけとも思わなかったこと

 この少年も、落としどころがない気持ちを誤魔化して、見て見ぬふりをしてやってきていた。

 

 少年の父親、行きつけの古い喫茶店のおばあさんと猫、弟夫婦、いろんなひとたちと関わり合う中で、紬は進み始めることを決めた。

 

 一見すると静かだが、チリチリとした熾火が炎になる機会をうかがっているようなお話になったと思っている。

 冷たくて、温かくて、柔らかくて、硬い。

 そんな物語です。

 

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

森のクリーニング店 シラギクさん ともだちになった日

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2/22 のにゃんにゃんの日。

あかね書房さんから発刊。

森のクリーニング店 シラギクさんの2巻目である。

今回も、シラギクさんはパワフルに自由にのびのび活躍してもらった。

 

 

1話目は、カワセミの子どもがメインキャラ。

カワセミって飛ぶ宝石と呼ばれるほど美しい。

でも、子どものうちは地味。そしてこのカワセミの子は、自分に自信がないわりにプライドが高く、相当にひねくれている。あいさつすら知らない。

身につける物によって、ほかのカワセミのように自分もきれいになれると信じている。

こんな彼が、シラギクさんたちに出会ってどう変わるのか。

私も「お前、これからどうすんねん」と思いながら書いていったらこうなりました、というのを見てほしい。

 

 

2話目は周囲のものを化かしてイタズラしたり、盗みを働いたりするキツネの登場。

書いていていて楽しかった場面は、シラギクさんがまんまとだまされるところ。そして、おさるのエンヤがくやしがるところ。

シラギクさんたちは森を飛び出して町まで行っちゃう。

「え、シラギクさん、そんなこともできるの!?」

というシーンが、このお話の最後のほうにあります。

 

3話目はお月見会。

メインキャラは、ブタのご婦人。ブタってきれい好きなんですってね。このご婦人は、よごれているのがだいきらい。森をよごしたらただじゃおかないよ。

でもあまりに物事に固執しすぎると、自分自身がきゅうくつになって孤独になっちゃったりする。

私はきれい好きではないけれど、何かに固執してしまうところがある。同じことをずーッと考えたり。

ちなみに、固執してることに気づいたら、その時は深呼吸して、

「まあ、いっか」

って、呟くとその囚われから解放される。

 

固執するのは個人の勝手だけど、周りにそれを押し付けるようになったら困りもの。

このブタのご婦人の場合はどうなった?

 

 

 

今回もjyajyaさんがすてきなイラストを描いてくださいました。立体的で華やかで、煌めき、キャラクターが生き生きとしています。ありがとうございました。

そして、おだててしっかりご指導、手綱を握り伴走してくださった編集Mさんありがとうございました。

 

Power Of Words の取材

オンライン打ち合わせのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとやGLOBAL EDGEPower Of Words 私の好きな言葉というコーナーにおいて、zoomにて取材を受けた。

 

勤め先でのzoomは一度経験がある。

しかし、プライベートではない。

zoom飲み会など巷ではメジャーらしいが、飲み会する友達もおらん。

 

勤め先でのzoomはおぜん立てがある。私がすべきことはパソコンの前にじっと座っていること。じっと座っていることさえできれば成功だ。

「待て」ができる犬であれば別に私でなくてもよさそうなものなのだが「職務」という、つまらないただ一点で、犬を座らせておくことは許可が下りなかったために、曲がりなりにも人の格好をしている私がしょんぼりと座ることになっただけなのだ。

 

ところが今回は、自分がすべてやらねばならぬ。おぜん立てはない。こちらの作業ひとつで、画像(虎になるとか)や音声(ヘリウムを吸った声になるとか)が変わってしまうかもしれない。そしてうちに犬はいない。

とはいえ、執筆活動に関連することなら、zoomは大好きだ(と、いきなり手のひら返し)。上手につながるかどうかワクワクしていたが、変身することもなくヘリウム声になることもなく、私の発言を除けばうまくいった。

 

 

GLOBAL EDGEというのは、御ホームページによると、

マスコミ・有識者・官公庁・地方公共団体発電所立地地域等の関係者の皆様とJ-POWERとを結ぶ広報誌として年4回(季刊)発行

 

とのこと。

拙著「ふたりのえびす」(1/27刊行 フレーベル館)の担当編集さんからのご紹介だ。

 

私が念仏のように日々唱えているパワーワードは祖母からの「大丈夫」である。

が、これともうひとつ、「ま、いっか」がある。

「大丈夫」のほうは東奥日報新聞社さんの取材で答えたので、今回は「ま、いっか」をお伝えすることにした。

 

おいまじかよ、という出来事が起こったときとか、起こしてしまったときとか、しでかしてしまった時とかやらかしてしまった時とか……列挙していて悲しくなってきたので、今まさに、まいっかと言う。

私は、やらかすことが多い。能力もないのに手を出すのだ。手を出す時は何も考えていない。鳥の脳みそくらいでもあれば防げたであろうことを、まんまとしでかす。

ああ~、やっちゃったなあと思う。

とりあえず、まいっかと言ってみる。

聞かされたほうはなぜか不安げな表情をする。当然だ。私だって私以外がやらかして「まいっか」なんて言われたらこの野郎と思うかもしれない。

 

私だって人の子だ。かつては風の子と言われたこともあったが、一応これでも人の子だ。

反省はする。

あまりに深く反省するためそこから抜け出せない。

反省ならば猿でもできるそうだが、私は鳥なので(なんかかっこいいな。でもこれは脳みそ量の話)その反省も的を射ていない場合が多い。

そういう時に、まずは「ま、いっか」と言う。口に出して言う。自分の耳で「ま、いっか」という言葉を聞く。

そうすると、この失敗を取り返せないだろうか、という方向に考えが動き出す。

生産性のない反省ばかりの堂々巡りから、一歩抜け出せる。

うずくまっていた気持ちが動き始める。

次があるさ。

次は失敗しなきゃいいだけじゃん。

やらかしたことに、相手がいる場合も、次は気をつける。失敗しないよう気を引き締め、失言もしないよう口には注意する。

とはいえ、相手が受けた嫌な思いは取り消しようがない。これがきっかけで相手とは疎遠になるかもしれない。そして大抵、疎遠になる。

そうなったらどうするか。

 

まいっか、と諦める。

 

相手には大変申し訳ないが、ひとつ学ばせていただいたということで自分のなかだけで勝手に折り合いをつける。

懲りずに私の相手をしてくれている方(ボランティアだと思うが)や、これから出会う新しい方に同じ失敗を繰り返さないよう気をつけよう、と誓う。

誓っても三日もしないうちに同じことを繰り返してしまう、なにしろ鳥の脳みそほどもない脳みそなのだから。

 

だから正確には「まいっか」じゃない。

ひとっつもよくはない。

でも。

「命まで取られるわけでもあるめえに」

これは、戦争体験者の祖母の言葉。

 

だから、大抵のことは「まいっか」なのだ。

 

「ま、いっか」は、

私にとって、進むためのまじないだ。

 

 

 

ふたりのえびす

ふたりのえびす

 

ビールじゃないよ。

児童書だよ。

 

八戸市で毎年2/17(今年はどうなるのだろう。)から行われる豊年祈願の神事としての芸能で国重要無形民俗文化財 に指定されているえんぶり。その中の「えびす舞」に挑戦する小学5年生男子二名のお話。

 

このたびの「ふたりのえびす」は、先に発刊していた「いっしょにアんべ」「ケンガイにっ!」の流れを汲んだもの。

2作の先発隊は、青森県の南部地方と呼ばれるところを話の筋に組み込んでいる。

これに、もう1作を加えて「南部3部作」としようというお話が出たのが、かなり前。

なかなか本にならなかったのは、ひとえに私の力不足。特に取材が苦手のせいだ。

知らない人に声をかけられたらダッシュで逃げろと教えられた世代だ。よって、知らない人に声をかけることに抵抗がある。

資料のみでなんとかならないかと試行錯誤していたが、なんともならなかった。

なので、決死の覚悟で八戸市教育委員会様に縋りつき、新井田仲町えんぶり組の代表親方・上野 弥(うわの わたる)氏を紹介していただいたのだ。

コロナのために、取材は電話。

ご紹介くださった八戸市教育委員会様、朝だろうと夜だろうと、思いついたら即電話、出物腫物ところかまわずといった無節操な電話攻撃にも、ぶち切れることなくご丁寧に教えてくださった上野様、誠にありがとうございました。

 

さて、今回の「ふたりのえびす」を書き出すとっかかりについてちょこっと触れさせていただきたい。

 

3部目をどうしたもんか、と考えていた時、たまたま新聞で、自分の作ったキャラで自身が苦しめられているという小学生の記事を見つけた。

そこから主人公ができた。

主人公のキャラの輪郭をくっきりさせるためのサブキャラも思いついたが、サブというより、w主役にしようと思った。

青森県は南に位置する漁業が盛んな市・八戸の郷土芸能を噛ませようと思った。

 

えびす舞という滑稽な舞を踊ることになったふたりの少年。初めはお互い馴染まなかったが、練習を通し、互いに相手の過去を知るにつれて歩み寄り始める。自分を見つめ直し、周囲の子の反応にもどかしさを感じたり、親方に反発したり、先輩たちの意地悪にくじけそうになったりしながらも、徐々に練習に対して積極的になっていく。

何度か訪れる危機に立ち向かい、いよいよ立つは厳冬の大舞台――。

 

 

本作は、「作ったキャラ」を否定するものではない。

キャラに、自分をまるっと明け渡すのではなく、かといってきれいさっぱり排除するのでもない。

何しろ、そのキャラの成り立ちは、少なからず自身を守る鎧やシールドであったのだから。

 

 

挿画の太田麻衣子さま。力強く、はっきりくっきりした迫力のある絵をありがとうございます。躍動感があり、イメージの上を行っています。華やかなお祝いの雰囲気が満々としていて、嬉しい限りです。特に、蕪島(かぶしま)での釣りの場面は「まさにこれこれ!」と頷いてしまいました。

 

そして、丁寧なご指導&ゴールまで常に伴走してくださった編集Hさん、とても心強かったです。ありがとうございました。

 

 

【本日発刊】#フレーベル館「ふたりのえびす」よろしくお願いします。

報連相

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うちには、毎朝、自分の排泄したものの量や太さや大きさを報告してくるメンバーが約一名いる。

私にとって、特に必要な報告ではないため、

いくら世の中の常識として報連相がまかり通っていようとも、聞き流してきた、トイレだけに。

 

ところが、ここ最近私のお通じが滞り始めたため、毎朝のこの求めていない報連相を存分に聞かせられるのは、マウントを取られているような気がしてくる。

うんこで(あ、言っちゃった)マウントの取り合いなんてチンパンジーじゃねえんだから。

いやすまない。チンパンジーの名誉に傷をつけてしまった。チンパンジーは採ったバナナでマウントの取り合いはするかもしれないが、出したバナナではしないような気がしてきた。

 

腸と脳は直結しているとよく聞く。

怒り心頭は、腸が煮えくり返るというし、

腹が立つともいう。

 

 

確かにふん詰まりが続くと、年に365日休んでいる我が脳はますます深い休息に入ろうとする。

簡単な算数ができなくなる。例えば以下のような文章問題。

 

15 円のガムがあります。チョコレートのねだんは  ガムの4倍です。リンゴのねだんは 何円ですか。

 

こういった文章問題が解けなくなる。絶好調な時は、

「蜜柑のねだんは60円!」と答えられたのに、

今は、どっからリンゴが出てきた! と突っ込むのがせいぜい。

おなかの塩梅によって思考が左右されるなんて現代人にあるまきじ状態である。チンパンジーのほうがまだましだ。ああ情けない。

 

 

八戸ブックセンター様、飲食店の皆様、関係者の皆様、ありがとうございました。

マスクを付けた笑顔のサンタとトナカイのイラスト(クリスマス)

 

青森県八戸市にあるブックセンターでイベントがあった。

まず、人が集まらなかったらどうしようという心配があった。

心配したってどうにもならないので、のこのことアホ面下げて出張っていったわけである、この日のためにドングリ頭にだってしたのだし。

 

会場には、懸念した閑古鳥はおらず、ごくまっとうな哺乳類ホモ・サピエンス、またの名をお客様がいらっしゃって、また、お料理も早い段階でなくなったとうかがって、うれしくなった。ありがたい。

これがクリスマス当日じゃなくて本当に助かった。

当日だったら、ブックセンターの職員さんと私だけになってしまったじゃないか。職員さんに申し訳ない。彼らは仕事だからそこに、手を前で組んだりして立っているわけである。

クリスマス当日で、かつ仕事じゃなかったら家でコタツに当たりながらケーキやフライドチキンを味わっているのである、家族や親しいひとたちと。

それが、家族でもなく親しくもない訳の分からんドングリ頭のおばちゃんに聖なる日をつきあわせてしまうところだった。絞殺されてもしょうがないシチュエーションだろう。

 

イベントは、飲食店さんのご協力を得て、拙作の中に出てきた料理を再現して提供するというものと、コミュニティFM「BeFM」のパーソナリティ・大地球さんとのトークである。

私が関わったのは、ご安心を、料理ではない。命拾いしたと思ったことでしょうなあ。

 

事前に、トークのお相手が大地球さんだとうかがってから、ここだけの話、私は地球丸さんと心の中で呼び間違え続けていた。

全く自分は何をやらかすか知れたもんじゃないのだが、当日ばかりか、前段階でしっかりやらかしていたのである。

今日は口を引き締めて臨んだ。

絶対に失言はすまい。余計なことは言うまい。お口はミッフィーで。

ところが、なんということでしょう。

地球丸……じゃなくて、大地球さんの誘い水に乗ってベラベラベラベラベラベラベラ話してしまった。

せっかく足を運んでくださった方、謹んでお悔やみ申し上げます。料理に私が関わらないってことでせっかく拾った命を、トークにいらっしゃったがゆえに落とされたかもしれなくて。

致命的なダメージを受けなくとも、頭痛程度ですんだ幸運な方、神に感謝してください。先祖に感謝してください。私んちにある、漬物の壺を買っていただければもっとご加護を受けられます。返品交換は受け付けません悪しからず。

 

 

 

一時間ばかり喋った。

すごくまじめな話をした。

真剣な話だ。

襟を正して話させていただいた。

内容を一言でまとめると、私の適当極まりない人格と人生の一部をさらしたトークとなった。

これを聞いて、いったい誰が得するのか、と。

師走のくそ忙しい時に。

どうせ聞くならラジオ体操のほうがまだましだったんじゃないだろうか。

深いいい話を期待して来場された方には申し訳ないが、

またこういったイベントがあったらいいなと思っています。

その際は、体調を万全に整えて、冬景色の津軽海峡を泳いで渡れるくらいの体力をつけていらっしゃってください。

また会いましょう。

 

 

 

 

ちょっといい感じのどんぐり。

髪を切る美容師のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

パーマ屋さんに行ってきた。

私は美容院が苦手である。

凶器を手にした人間がすぐ後ろに立っているのだ。この状況はまともじゃないだろ。

なので私は嫌なのだ。

そう思っていたが、実は別の理由もあることに気づいた。

 

おしゃれな雰囲気が苦手なのだ。

おしゃれな場所も苦手なのだ。

おしゃれな人も苦手なのだ。

そして美容師さんは、白いツルの眼鏡をしていた。

白いツルの眼鏡に、装飾が施されていた。

白いツルというだけで、たいがいなのに、その上装飾である。

こうなると苦手というか、世界が違いすぎて及び腰だ。お手上げだ。

 

「きょうはどうしましょう?」

 美容師さんに聞かれて、とにかく短くしてほしいということを伝えた。そしてできればパーマもかけたいと伝えた。

 

「はあ。パーマはどうですかねえ……」

 美容師さんのいまいちな反応。私はてっきり

「パーマいいですね(売上)! そうしましょう(売上)! がっつりパンチパーマで行きましょう(売上)!」

と乗ってきてくれるかと思っていたので、意外だった。

 

「お客さんには合わないんじゃないでしょうか。老けますよ」

 丁寧語での否定って、覚悟を迫ってるようで怖い。白いツルだし。

「とりあえず、切ってみてから判断しましょうか。そうしましょう」

自宅にいるのに帰宅したいと駄々をこねる認知症患者を説得するような口調で、説き伏せられ、私はうなずいた。

基本的に、こういう髪型がいい、というものは私にはない。

邪魔にならなければいい。そのためには短ければいい。

自分についてあれこれ考えたくはないのだ。

 

耳元で機械がうなった。

何!?

バリカンだ。

これまでの人生で、バリカンを頭に当てられたことはないかもしれない、あまり記憶はないが。

 

一時間後。

 

刈り上げられていた。

 

耳の上。

 

ツーブロックというらしい。かつて、男子高校生と学校側でもめた、いわくつきのツーブロック

その上から、さらに上方の髪の毛を帽子のようにかぶせられた。

一見すると刈り上げているようには見えない。

でも、帽子をめくるとしっかり刈り上げ。

そして、しっかりどんぐり。

どこに出しても恥ずかしくない、仕上がってるどんぐり。

これで森の中にうずくまってたら、大きいどんぐり。はてしなくどんぐり。

私の場合、どんなに腕の立つ美容師でも、そうなっちゃう。

でもさすが、美容師。

スタイリッシュ感は残っている。どんぐりだけど。

やったぜ。