紀元前ほども遠い昔のこと。
私にも小学生という未熟な時代があった。
今はそれに輪をかけて未熟になってしまったが。
国語の授業中、ぼーっとしていた。
私は授業中は、すべからく ぼーっとするのを信条としている子だった。
授業は、ぼーっとするためにあると信じていた。
おじさん先生が教科書を読み上げていた。
「あっこう」と聞こえ、私は我に返った。
おっかない先生だったので、みんなは黙ってうつむいていた。
普段は抜け目なくあげ足をとる子でさえ。
が、誰もが肌で感じている静かな空気であっても、あきらかに立っているさざ波。
うつむいたっきり、ヒリヒリした空気に耐え続ける。
あっこう、ってなんだべ。
私の頭の中にはジャイアント馬場の
アッポ―
しか思い浮かばなかった。
となりの席の子が開いているページを見て、自分も該当ページを見る。
あっこう、と言葉に出せそうな単語を探ると、「悪口」というそれが目に入った。
私は「悪口」の横にジャイアント馬場の顔を落書きした。何せこっちは暇なのだ。
額のところに手を描いて、吹き出しをつけ「アッポ―」と言わせた。何せこっちは暇なのだ。
数日後、隣のクラスの子に教科書を貸した。
さらに数日たって、何かの拍子に国語の教科書のページを戻ったら、
私の落書きのところに新たな落書きが添えてあるのに気づいた。
ジャイアント馬場と「悪口」を挟んで、( )で囲まれた鳥🐦である。
隣のクラスの子に、「あれ、カッコウだった?」
と聞いたら、うん、と頷いてから、額に手をやって、アッポ―、と嬉しそうに返してきた。
授業には興味なかったし、センセーも苦手だったけど、そのことがあってちょっとだけ教科書を開くのが面倒じゃなくなった。
そのおっかねえ先生は体育の時に「もとい」という言葉も使った。初めて聞いた時には何を言っているのかチンプンカンプンだった。
何語か、と思った。
思いつく限りの言語の可能性についても検討したが、さっぱりだ。
先生は理解できていない私たちに癇癪を起し、恐ろしい形相で「戻れ」と怒鳴ったので、
「もとい」は「戻れ」という意味なのだなと理解し、急いで立ち位置に戻ったこともある。
その先生がいない所で、しばらく生徒たちの間では「アッポ―」だの「もとい」だのと脈絡なく口に出して先生を小ばかにするのが流行った。