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一喜一憂の小物

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図書館の蔵書点検中、見つけた本(分類NDC159・哲学・人生訓)に書いてあった。
 
    一喜一憂すんな小物野郎
 
 
透明な字で「そういう人はせわしないし邪魔くさいんすよ」ってのも書き添えてあったような気がする。
小物野郎ってのも、もしかしたら幻覚かもしれない。
 
私は一喜一憂しまくる人間である。
一喜一憂でできてる人間である。
てかもはや一喜一憂である。
 
しょんぼりしたかと思うと次の瞬間には笑っているし、
花が咲けば嬉しいし、散ればつまらない気持ちになる。
紅茶のチョコだ! と喜んで、抹茶のチョコだと明かされて
味音痴であることを恥じたり、
褒められれば図に乗るし、
けなされれば、あららと思う。
成功すれば、やったぜカトちゃんうんこちんちん(レトロ)、って嬉しがるし、
失敗すれば、やっちまった まあいいか こんなもんさ、って苦笑いするんだ。
 
意識してそうしない限り、あんまり表情も目も動かないから
はたから見たら、墓石みてぇな人間だなと思われるかもしれないけど、
内側は、ものすごく忙しい。
 
 
平・淡・鎮な心持ちでいけたらそりゃ楽だよ。
5分5分で、青・椒・肉・絲ってなったら、あ違うか、
平・淡・鎮になったら生きやすいだろうなって思うこともあるけど、そうなったらなったで、別の方面(主に書き物方面)での行き詰まりが出てくるのも分かってる。
 
一喜一憂しないで、「いいことがあったら悪いことがある」と、ブレーキかけて自戒して、心づもりして、気持ちが乱れないよう、心に常に保険かけて生きてりゃそりゃ、長生きするよ。
 
ここで突然歌丸師匠の言葉を思い出してしまったから構成も何もあったもんじゃないが書いておく。
 
「酒も博打も女もやらず、100まで生きた馬鹿がいた」
 
 
 
その本は、一喜があったら一憂だってあるけど、それにいちいち振り回されるなって言いたいらしいんだけどよ。
 
 でもさ、みなさんご存じ「この世は光と影」だよ。
光があったら影は絶対あるよ。
影が深けりゃそりゃぁあんた、光は嬉しいよ。どうしたって喜ぶよ。
影ん中でじっと耐えてたんだから、
光が射したら思いっきり喜んだっていいじゃないか。
その都度喜ばないと、
嬉しさが濁っちゃう気がするんだよね。
 
 
 
せっかく生きてるんだもん、ミミズだって螻蛄だってアメンボだって僕らはみんな生きてるんだもん。
 
小物の極みの私は、一喜一憂くらいしかできねえし、したっていいじゃないねぇ?(と、誰もフォローしてくれないので自分でフォローする)
 
そうじゃなきゃ、生きてる甲斐も、キラキラしてるものもリアルじゃないじゃん。